01-23-2019 04:57 PM - edited 02-02-2019 03:59 AM
01-23-2019 08:12 PM - edited 01-23-2019 08:31 PM
@shigeoさん
非常に重要な統計を有難うございます。統計的な視点は欠かせませんね。
しかしながらこれは考えさせられる統計なんです。私は統計を学ぶ社会人学生ですが、文部科学省が発表した正式な数値であるにもかかわらず「信者」としてしまっています。すでにお気付きの通り、日本人の7割が(神道などを含めるとなんと人口の1.4倍が)信仰を告白しているのは自然ではありません。
結論からすると檀家を足し算して檀家=信者として提出された数値ですが、信仰を認めていないその家族の子ども達まで無許可で加算されている恐れがあります。宗教団体へ厳格な統計的ルールを設けていないようです。従ってこの統計に信用を持たせるために文部科学省は、信者ではなく「宗教団体による自己申告数」と発表すべきであり、統計学で問題となっている数値の一つです。
とはいえ、日本人は口に出さないにしても積極的に宗教へ関与していることが、この数値で明白ですね。
引き続き鋭い視点で日本の紹介を宜しくお願いします。
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01-23-2019 08:42 PM - edited 01-23-2019 08:43 PM
(*^▽^*)
01-23-2019 08:42 PM
~~~ヾ(^∇^)おはよー♪御座ます。
文化庁の宗教統計による集計方法は非常にいい加減なものです。文化庁が直接調査をしたわけではなく各宗教団体の自主的な報告に基づいて集計しています。自主的な集計ですから統計のあり方は色いろあろうかと考えます。
例えば神道、仏教は参拝、礼拝に訪れた人の数をすべて信者数として報告してます。合わせると神仏両方の信者が全国にいることになります。
でも、信仰の捉え方からすると統計を軽く見れない出来事でもあります。
なぜなら信望しないところに人は足を運ばないのが私達の生き方です。国内にいてイスラムの寺院には行かないし、身近にあってもカソリックの寺院にも行きません。
人が好むところに出向き、そこでお布施や浄財、お守りやおみくじを求め仏殿、神殿に手を合わせれば多くの人は熱心な信仰者だと見るでしょう。
行為や行動に確たる信念がなくても、参拝は宗教のもっとも大事な儀礼的行為と判断しています。
01-23-2019 08:45 PM - edited 01-23-2019 08:53 PM
@shigeoさんのおっしゃるとおりです。
文部科学省は統計と名のついた(宗教とは異なる)神聖なものに対して襟を正さないといけませんが、実際にこのような膨大な数値が発生していることは、私たちが何らかの形で宗教に関与しコソコソしながら信じている証拠を示しています。
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01-23-2019 08:55 PM
「コソコソしながら信じている・・」
そんな事はないと思いますよ。
仏神両方を信仰の対象にしたのは数百年も前からです。仏教と神道は融合していたことはごく普通の出来事でした。
それが明治の初め仏神融合を政府が明確に分離させたわけで、その血筋が今も消えていないと見るべきではないでしょうか。
数は少なくなりましたが有名な寺の敷地内に神社として鳥居と本殿が残されているのを見たことはありませんか。古き時代の名残が今も見られます。
01-23-2019 08:58 PM
@shigeoさん
信じてるわけではないけど通い、三門を通過して、御朱印をもらう。
そんな表現が減って神仏は重要だと皆が言い合うようになれば良いと思います。
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01-23-2019 09:07 PM - edited 01-23-2019 09:13 PM
@shigeoさん
自身の信仰心はさておいての話ですが、私は神仏に関して、その場所で教えられることを実践することが何より重要だと思っています。従って、通った分だけ自身の日常が改善されているはずです。ところが現在は、寺社仏閣の建築物や観光地性、エンターテイメント性に注目が集まるものの「誰かの教えを信じて実践している」と発言する人はほとんど見られません。
神仏の信仰の告白に肯定的ではないのはなぜでしょうか?
私が思うに、もっと気軽に接したいからだと思います。つまり、大切にはしたいが学びたいわけではない、ということです。それが悪いとは思いませんが、信仰心があるとも思えません。
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01-23-2019 09:17 PM
神仏の信仰の告白を晒すことに肯定的ではないのはなぜでしょうか?
それは個人々の信仰の捉え方です。
貴方自身は信仰とは何か、お考えになったことはありますか。
信仰は何を対象にしてますか。
信仰は貴方の何を救いましたか。
信仰は貴方に何を求めてますか。
信仰は貴方に何を与えましたか。
これらの一つひとつに見えてるものがあるのですが、教えていただけますか。