少し前になりますが、東京でミートアップを開催しました。
@Izumi さんと共に、東京都町田市のオールドストリート「町田仲見世商店街」のマップ精度の調査と編集を行いました。
「西のアメ横」と呼ばれる典型的な昭和レトロ商店街です。歩行者専用の狭い道幅、現代的に言うとアトリウム、
50 ㎡以下の狭い個人商店、裏路地に組合と大きな給水ポンプ…全国の中級都市で観られる馴染み深い区画です。
アトリウム商店街のマップで気になったのは、
商店街入り口にあたる場所にPOIが移動されていたことです。実際の店舗の位置ではありません。
屋根によりGPSが届きにくい商店街内ではナビがうまく働かないことが、
POI移動の理由となっているのではないかと思いました。
日本の鉄道駅前には、なぜ古い商店街があるのですか?
戦前と戦後の日本復興では、イギリスから輸入された鉄道がモビリティの主役にありました。
鉄道駅に人々が集中するのは自然なことで、普及する明治以降、各地で駅前商店街が発展しました。
その商店街が戦後、闇市(戦後の法律で制限された物資を非合法に販売する市場)に変化し、現存する形となりました。
町田仲見世商店街の前身は、なんと安土桃山時代に遡ります。明治には横浜港から輸入された渡来品が活発に流通したそうです。
駅前商店街という文化、実は日本で常識的であったとしても、必ずしも世界の常識ではないようです。
日本の近代化が鉄道と共に始まった特有の事情がある(他の国は馬車などその他のモビリティから近代化した)ようです。
どうして神奈川県町田市といわれる?
町田市は東京都ですが、ネットミームで神奈川県と揶揄されます。
地図を見ると東京都と神奈川県のまっすぐな境界線から、神奈川寄りに不自然なはみ出し方をしています。
そのことと、横浜のほうが近いこと、神奈川は首都に隣接する下位の都市のイメージから、
東京から遠い街、という意味でからかわれるようです。
それがただの冗談で済めば良かったのですが…かつて町田はリアルに神奈川でした。理由があって東京に移管したのです。
一つは、東京の水源であった玉川上水が町田を流れていたこと。水源の上流を神奈川に管理させるわけにはいかなかったのです。
もうひとつは、町田周辺で自由民権運動(民主主義運動)が活発になり、神奈川の政治を変革しようとしたため、
困った神奈川から東京へ移管させられた、というものです。
…このワケアリ感が町田にはあり、「町田は神奈川だった(笑)」的な表現をされてしまうのです。
町田(三多摩)は日本民主主義発祥の地
以上の様に、町田を含む「三多摩」と呼ばれる地域は、
それまでの日本の専制政治を批判する民主主義運動が活発になった場所であり、
民主主義の発祥の地と言って差し支えない歴史があります。ところが、そんな重要な地域であるにもかかわらず、
町田はそれを宣伝することもなく、神奈川県町田市(笑)と黙っていじられるだけのように見えてしまうのです。
詳しくは町田市立自由民権資料館 で学習できます。
#DeepJapan